本学会は地すべり及びこれに関連する諸現象並びにその災害防止対策に関する調査・研究・受託および助成を行っています。

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斜面防災技術・学理のブレークスルーを目指して

公益社団法人日本地すべり学会会長
高知大学教授/笹原 克夫

日本地すべり学会会長 笹原 克夫

 令和4年6月10日に開催された令和4年度第2回理事会にて,第20代会長に任命された高知大学の笹原です。これから2年間よろしくお願いします。さて「学会」の最も重要な使命は言うまでもなく,「当該分野に関する科学・技術の発展を促進させる」ことです。これは学会の構成員である研究者・技術者の研究を,学会がサポートすると共に,研究者・技術者の間の交流を促進して,研究成果を挙げることだと,私は考えています。もちろん技術者の技術レベルを向上させるような支援を行うことも学会の重要な活動の一つですが,ここでは「研究成果を挙げるための基本的な考え方」について,最近私が考えていることを述べてみたいと思います。若い研究者・技術者のみならず,中堅以上のキャリアの方でも論文書いて一旗揚げようとお考えの方はご一読いただけると幸いです。

 科学技術の行き詰まり
  現代は閉塞感にみちあふれた時代と言われています。資本主義経済の行き詰まりが議論され,また西洋社会で最も重要な価値観と認識されている,民主主義の限界も露呈しています。西洋近代合理主義の行き詰まりなのかもしれません。このような閉塞感を打破するために(?),国内外で権威主義や、ポピュリズムが台頭しています。ヨーロッパにおける極右政党の躍進がその例でありますが,日本でもその兆候が見られています。

 それと同様に(?),科学技術も行き詰まりを見せています。Information and Communication Technology (ICT)や,Artificial Intelligence (AI)などの,いわゆる「技術」は近年発展が著しいのですが,既存の学問分野においては,古くからの未解決の問題が解けない状況が続いています。これはその分野において,小手先の解析技術などではない,本質的な考え方が発展していないことを意味している,と私は思います。これが日本の科学技術の発展を阻害し,引いては日本の産業の発展を妨げている,という認識は,特に「失われた10年」と言われた1990年代以降,産業界や政治の世界でも,危機感を持って議論されています。最近では「大学ファンド」など,選択された研究機関に資金を集中投資しようという実験的試みも始まりつつあります。それが良いか悪いかは別として,とにかく事態を打開しようとする試みが始まったことは注目すべきであると思います。我々の斜面防災技術・学理の分野でも,古典的ではあるが,未解決の問題は多く残されています。その例として,筆者の専門分野である地盤工学に関連する問題を挙げてみます。

一つ目の例は,斜面崩壊発生時刻の予測です。古くより斎藤さんや福囿さんなどの先輩方の努力により,計測された変位に基づく崩壊時刻の予測式はかなりの数が提案されていますが、雰囲気的に「まだ足りない」と思われています。何故でしょうか。おそらく予測式だけでは,解けない問題があるのだろう。例えば予測式は,変位が増加すれば崩壊予測時刻が算出できるのであるが,単に変位が増加しても,斜面内部の力学的条件が「崩壊する」条件でなければ、崩壊するわけもありません。もちろんせん断試験と斜面安定解析を行えば,崩壊時の地下水位は求めることができますが,斜面が崩壊しようとしている時に,そんな手間暇をかけるわけにはいきません。また切土掘削時の斜面崩壊など,地下水位の上昇によらない崩壊形態があります。現場で簡便に計測できる値から,簡単に「斜面内の力学的条件」がわかる方法はないだろうか?現場で地すべりの変位の計測を行っている技術者の話を聞くと,中規模の降雨等により変位が増加を始めることがあり,このような場合には予測式により崩壊時刻を算出し,現場が緊張に包まれるそうです。しかしやがて変位の増加が止まってしまうことがよくあるそうです。この場合「変位の増加が崩壊に至るかどうか」をまず判断することが必要ですね。これを判断する方法がないことが,「崩壊時刻予測式」が信頼されない原因のひとつであると思います。現場の要請に対して,学術の側が回答を出し得ていないということでしょう。

 もうひとつの事例として,すべり面粘土のせん断強度の速度依存性の問題があります。一時期は室内での速度制御のリングせん断試験等が盛んに実施され,かなりのところまでわかってきた。例えば変位速度の増加と共にせん断強度が増加する場合や,逆に減少する場合があること,そしてそれは粘土の特性に関連している可能性があること,がわかってきました。しかしそれではどのような粘土の条件がこの速度依存性を支配しているのか,という課題がまだ解明されていません。そしてこの「速度依存性」が,斜面の崩壊直前の変位挙動に与える影響など,実際の斜面の挙動に与える影響もわかっていません。これらの未解決の課題が「せん断強度の変位速度依存性」という問題を,斜面防災に活用することを阻んでおり,これらが解けないと「せん断強度の速度依存性」は,「単なる趣味としての研究」に終わってしまい、斜面防災技術の発展に資することのない「遊び」に終わってしまう(言い過ぎであるが!)といえます。これもまさに「学術が現場の要請にこたえられるかどうか」という課題ですね。

 ちなみに上記のような問題は,最新のDXやAIを用いても解けるかどうかわかりません。暴言を承知で言えば、AIなどは性能の良い最適化手法に過ぎないのではないか?まさかAIが科学技術上の問題発掘から、解決まで、を自分だけで行う、ということは今のところは考えられないでしょう。人間の適切な「プログラミング」(問題解決のプロセス)の中にAIを組み込まないと、AIの能力は発揮できません。もっともAIが自ら「問題解決のプロセス」を作り得るような統合的なプログラミングが可能になれば、上記も可能になるでしょう。文科省の科研費等の申請書の審査でも、それらは単なる「技術」とみなされ、それらをどのように用いて、何を解くか、が明確でないと採択されない状況であることは指摘しておきたいと思います。

 さてそれでは,我々の分野における,上記のような「未解決の問題」を解くにはどうしたらよいか?これらの問題はいずれも斜面防災技術の発展を阻害しているため,日本地すべり学会の会員が取り組むべき課題であることは言うまでもありません。

 まず「研究者」が自らの本分は何か,を再度認識することが必要です。特に「土砂災害から人命を少しでも助けたい」など,この道に入った動機を再度確認することが必要です。そうすると現場の要請は何か,それに対して何をすべきか,が見えてくるかもしれません。また研究環境の整備などの問題もありますが,これは学会というよりは,各研究者の所属機関の問題となるので,今回は言及しません。

 また研究者の情報発信の方法に工夫が必要です。何もしていないように見えて実は結構泣かせる研究を行っている研究者もいます。しかし学会の研究発表会で1回発表すれば終わり,など情報発信が下手な場合が多いように思います。(こんなことを言うと皆さんに怒られますが)研究発表会では多くの発表があるので,1回発表した位では人は見てくれません。いくつかの学会の研究発表会で,同様なテーマで何回か発表する,研究発表会での発表と合わせて学術誌に論文を投稿する,それらと合わせて自分のホームページでリポジトリとして公表する,などの複合的な「情報発信戦略」が必要と思います。また海外誌への情報発信は重要です。我々日本の研究者は言語の問題があり,どうしても海外発信をためらってしまいます。それが故に一部の先駆者を除いて,日本の研究者の研究は,英語圏でほとんど知られていないのが昨今の現状です。1980年代までは,日本の研究が注目されたことがあったようですが,その頃の繁栄を知るシニアの世代ほど,現在の日本の研究者の知名度のなさを認識しようとしません。これがこの分野での日本のステータスを押し下げていることは確かです。日本の国益を損ねているとも言える。

 また研究プロジェクトの「企画」能力も必要です。私もこの歳になってようやくわかってきたのですが,役所や企業の人にとっては,研究内容や意義ではなく,「政府の競争的資金等に採用されたか」「研究機関内のプロジェクトに採用されたか」など,政府や大学の「施策」の中に当該研究が位置づけられているか,という「権威付けされた研究」であることが重要であるようです。まあ研究の意義がわからない人たちにとってはこのような指標で評価するのは当然でしょう。よって自らの研究プロジェクトを科研費等の競争的資金に載せ,うまく外部にPRして情報発信を行う,という「プロジェクト」化が必要です。また本学会には「研究委員会」という制度があり,研究調査部が毎年募集しています。これも研究のプロジェクト化,権威付けに有効であると思います。研究委員会の枠の中でワークショップ等を開催し,広く対外発信することも有効でしょう。このような活動は学会として積極的に支援します。

 いわば「学会発表や論文としての発表」で専門家に訴えると共に,「プロジェクト化」で専門家でない人に訴える,という2本立ての対外戦略が必要であるといえます。ただしこれらの戦略に溺れ,本質を見失ってはならないことは当然です。

 また特定の分野のこれまでの成果を相当勉強し,かつ自分の持つデータを十分吟味して,これまでにないアイデアを思いついたとします。それを査読付き論文の原稿として投稿すると却下されることも多いです。何故かというと,編集委員も,査読者も,そのアイデアの意味と価値がわからないからです。つまりそれはあなたのアイデアが新しいことを意味することもあります。査読者は保守的にものを考える傾向があります。当該分野のレベルを考慮しながら査読するので当然です。よって投稿原稿を却下された時,その却下の理由に納得がいくなら仕方ありません。しかし納得できない場合は,査読者たちが理解できない新しいアイデアである可能性があります。そのアイデアを大切にしてください。さらに検討してアイデアをブラッシュアップしてください。科研費等の競争的資金の申請書の審査の場合は,そのような,審査員が「これはこれまで気が付かなかったな~」というようなアイデアが評価される場合が多いと思います。ただし審査員にわかるような十分な説明があればですが。そのような「新しいアイデア」が当該分野で認められるには,時間がかかります。何故ならその分野の研究者がそのアイデアについて勉強し,理解する時間が必要だからです。そのためにはあなた自身も(却下されても)何度も投稿を行い,研究発表会などで何度も発表を行うことが必要です。そのためには時間と労力,そしてへこたれない心が必要です。そのようにして新しいアイデアが認められていくことが,「ブレークスルー」なのだと思います。それによりその分野が発展していくのだと思います。

 特にまだ陽の目を見ていない方,自分で「まだこんなもんじゃない」と思っている方はがんばりましょう。ただし当該分野の既往の研究の十分な勉強と,自ら取得したデータの積み重ねが必要です。単にアイデアをしゃべっているだけでは「酒飲みのホラ吹き」になってしまいます。でも「ホラ」がデータで裏付けされると,それは「アイデア」となります。